大山阿夫利神社 [癒しの散歩道]
8世紀半ばに開かれた大山。以来、霊山として人々の信仰を集め、現在では人気の登山スポットにもなっています。
ケーブル駅から下社への道。
この階段の上に下社があります。
江戸時代には庶民の間で大山詣が広まり、多くの人が訪れるようになりました。当時は富士講の流行とともに、江戸とその周辺からの参拝客で大変な賑わいだったとか。
阿夫利神社下社。庶民の移動に厳しい制限があった江戸時代にあって、参拝目的なら比較的自由に関所を通過できるため、富士講やお伊勢参りは数少ないレジャーのひとつだったようです。
相模国に位置する大山は鎌倉時代に幕府、戦国時代には北条氏の保護を受けました。小田原城の戦いで秀吉軍が北条軍を包囲した時、大山の修険者たちは北条方に付いて戦いました。
山頂にある本社目指して、険しい山道を登って行きます。
1500万年前に堆積した火山礫が地底の圧力で固まり、地層の固い部分が長い年月をかけて現在の大山を形作ったものだといわれています。
二十七丁目付近からの富士山。大山は江戸と富士山の中間地点にあり、富士山へ向かう道中に大山に登ることも珍しくなかったとか。
二十七丁目の道標。御中道といえば富士山の五合目付近を一回りする修行道が有名ですが、大山にも下社から前社に通じる御中道らしき道があります。ただ、この場所ではないため、なぜここに道標が建っているのか分かりません。風化した古い道標も残っており、謎めいています。
二十八丁目、本社の鳥居です。後ろに拝殿のような建物がありますが、シャッターが下りていたため拝観できませんでした。何の建物か分からなかったのですが、これが中社?
山頂付近には樹氷が見られます。阿夫利神社には3つの祭神が祀られており、本社にオオヤマツミ(山の神)、奥社にオオイカツチ(雷の神)が祀られています。もうひとつのタカオカミノカミ(水の神)は前社に祀られています。
大山は雨や霧が発生することが多く、下界を見下ろす山頂のブナは雨降木と呼ばれています。「阿夫利」は「雨降」が由来だそうです。
ケーブル駅から下社への道。
この階段の上に下社があります。
江戸時代には庶民の間で大山詣が広まり、多くの人が訪れるようになりました。当時は富士講の流行とともに、江戸とその周辺からの参拝客で大変な賑わいだったとか。
阿夫利神社下社。庶民の移動に厳しい制限があった江戸時代にあって、参拝目的なら比較的自由に関所を通過できるため、富士講やお伊勢参りは数少ないレジャーのひとつだったようです。
相模国に位置する大山は鎌倉時代に幕府、戦国時代には北条氏の保護を受けました。小田原城の戦いで秀吉軍が北条軍を包囲した時、大山の修険者たちは北条方に付いて戦いました。
山頂にある本社目指して、険しい山道を登って行きます。
1500万年前に堆積した火山礫が地底の圧力で固まり、地層の固い部分が長い年月をかけて現在の大山を形作ったものだといわれています。
二十七丁目付近からの富士山。大山は江戸と富士山の中間地点にあり、富士山へ向かう道中に大山に登ることも珍しくなかったとか。
二十七丁目の道標。御中道といえば富士山の五合目付近を一回りする修行道が有名ですが、大山にも下社から前社に通じる御中道らしき道があります。ただ、この場所ではないため、なぜここに道標が建っているのか分かりません。風化した古い道標も残っており、謎めいています。
二十八丁目、本社の鳥居です。後ろに拝殿のような建物がありますが、シャッターが下りていたため拝観できませんでした。何の建物か分からなかったのですが、これが中社?
山頂付近には樹氷が見られます。阿夫利神社には3つの祭神が祀られており、本社にオオヤマツミ(山の神)、奥社にオオイカツチ(雷の神)が祀られています。もうひとつのタカオカミノカミ(水の神)は前社に祀られています。
大山は雨や霧が発生することが多く、下界を見下ろす山頂のブナは雨降木と呼ばれています。「阿夫利」は「雨降」が由来だそうです。
コメント 0