箱根旧街道を歩く(前編) [街道風景]
旧東海道箱根峠越えの風景です。須雲川から三島宿まで22キロの歩き旅(2011年11月)
午前8時30分、箱根湯本駅。最近リニューアルされたのか駅舎がきれいになっていました。
湯本から上畑宿行のバスに乗り、発電所前で下車。早朝まで降っていた雨が路面を濡らしていました。バス停の近くに割石坂の入口があります。
割石坂。江戸時代の石畳が残る旧東海道です。
一旦車道に出て再び石畳の道に入ります。人の気配はなく、鬱蒼とした木々の間を歩いて行きます。
大澤坂。長い年月の間に踏まれ続けた石畳の角は取れ、ツルツル滑り歩きづらいのですが、石畳が無ければひどいぬかるみです。
畑宿で車道に合流しました。ここは正式な宿場ではなく、小田原宿と箱根宿の距離が遠かったために置かれた間の宿で、茶屋本陣がありました。わずかながら旧街道の雰囲気が残っていました。
畑宿一里塚。旧街道は右奥の木々の間に続いています。
箱根の七曲りと呼ばれる九十九折の車道を登り、樫木坂の先の遊歩道を歩くと笈の平です。東屋の横にあるモミジが色付いていました。
箱根旧街道資料館(休憩所)、隣には甘酒茶屋があります。
白水坂。箱根の坂にはそれぞれ名前が付いています。
天ヶ石坂を登り、外輪山の頂上を過ぎると芦ノ湖へと下りる権現坂へと続きます。
権現坂を下り、杉並木の舗装道路を歩いていくと箱根神社の大鳥居の前に出ました。
芦ノ湖は湖面標高723メートルのカルデラ湖です。一瞬、富士山が顔を出しましたが、すぐに雲間に消えてしまいました。
葭原久保一里塚。日本橋から数えて24番目の一里塚です。
葭原久保一里塚から先は600メートルほど旧街道の杉並木が続いています。付近に観光名所が多いため、歩く人が多くなりました。
箱根関所に着きました。関東防衛の要所として江戸幕府が設置した箱根関所は明治維新後に取り壊され、およそ140年後の平成19年に復元されました。
しばらく箱根宿のあった芦ノ湖沿いの国道を歩き、ふたたび外輪山を越える坂を登ります。
薄暗い林の底に鈍く光る石畳。
赤石坂。
風越坂。さらに上の狭石坂を登りきれば箱根峠、相模と駿河の国境です。
後編に続きます。
午前8時30分、箱根湯本駅。最近リニューアルされたのか駅舎がきれいになっていました。
湯本から上畑宿行のバスに乗り、発電所前で下車。早朝まで降っていた雨が路面を濡らしていました。バス停の近くに割石坂の入口があります。
割石坂。江戸時代の石畳が残る旧東海道です。
一旦車道に出て再び石畳の道に入ります。人の気配はなく、鬱蒼とした木々の間を歩いて行きます。
大澤坂。長い年月の間に踏まれ続けた石畳の角は取れ、ツルツル滑り歩きづらいのですが、石畳が無ければひどいぬかるみです。
畑宿で車道に合流しました。ここは正式な宿場ではなく、小田原宿と箱根宿の距離が遠かったために置かれた間の宿で、茶屋本陣がありました。わずかながら旧街道の雰囲気が残っていました。
畑宿一里塚。旧街道は右奥の木々の間に続いています。
箱根の七曲りと呼ばれる九十九折の車道を登り、樫木坂の先の遊歩道を歩くと笈の平です。東屋の横にあるモミジが色付いていました。
箱根旧街道資料館(休憩所)、隣には甘酒茶屋があります。
白水坂。箱根の坂にはそれぞれ名前が付いています。
天ヶ石坂を登り、外輪山の頂上を過ぎると芦ノ湖へと下りる権現坂へと続きます。
権現坂を下り、杉並木の舗装道路を歩いていくと箱根神社の大鳥居の前に出ました。
芦ノ湖は湖面標高723メートルのカルデラ湖です。一瞬、富士山が顔を出しましたが、すぐに雲間に消えてしまいました。
葭原久保一里塚。日本橋から数えて24番目の一里塚です。
葭原久保一里塚から先は600メートルほど旧街道の杉並木が続いています。付近に観光名所が多いため、歩く人が多くなりました。
箱根関所に着きました。関東防衛の要所として江戸幕府が設置した箱根関所は明治維新後に取り壊され、およそ140年後の平成19年に復元されました。
しばらく箱根宿のあった芦ノ湖沿いの国道を歩き、ふたたび外輪山を越える坂を登ります。
薄暗い林の底に鈍く光る石畳。
赤石坂。
風越坂。さらに上の狭石坂を登りきれば箱根峠、相模と駿河の国境です。
後編に続きます。
箱根旧街道を歩く(後編) [街道風景]
箱根旧街道を歩く(前編)の続きです。
箱根峠を越えると茨ケ平です。箱根旧街道西坂の入口に道標が立っていました。「これより江戸25里(約100km)、これより京都100里(約400km)」
竹藪のトンネルにも石畳が敷かれています。箱根峠に石畳が整備される前は、細い竹を敷きつめて旅人をぬかるみから守っていましたが、竹は毎年取り替えなければならないため莫大な費用と人手がかかり、石畳にとって代わりました。
鎧兜の形をした「かぶと石」。国道1号の拡幅工事のため、ここへ移動したそうです。
季節のせいか、元々花が少ないのか、旧街道を歩いていてほとんど花を見かけませんでした。珍しく石畳の脇に咲いていたリンドウ。
「念仏石」。石の手前に、道中で行き倒れた旅人を供養した「なみあみだぶつ」の碑があるため、念仏石と呼ばれているそうです。昔の旅は楽しくも命懸けだったようですね。
函南町から三島市に入りました。願合寺地区の旧東海道は二間幅(3.6m)の立派な石畳です。
国道1号と合流すると山中城址です。旧東海道は山中城を横切るように通っています。
山中城址から遠くの山並みが見えます。
笹原一里塚。なだらかな西坂を下って行きます。
松雲寺は東海道を通行する要人の宿として使われた寺本陣です。宿場の間に茶屋本陣・寺本陣が置かれたことからも、箱根八里の険しさが伺えます。
塚原新田。このあたりは○○新田という地名が続いています。江戸時代に次々と開墾されたのでしょう。
宗福寺。やや雲行きが怪しくなり、ポツポツ雨が降ってきましたがすぐに止んでくれました。
国道1号に合流し、遊歩道となった石畳を歩いて行きます。錦田一里塚は車道の両側に一対の塚が残る、貴重な遺構です。
町の風景が現れ始めました。大場川に掛かる新町橋を渡れば三島宿です。
午後4時半過ぎ、歩き始めて8時間で三嶋大社に到着しました。
三嶋大社拝殿。ここまで無事に歩いてきたことに感謝!
薄暮の境内を柔らかい灯りが照らしました。
三嶋大社を出て、少し歩けば三島宿の中心部です。ビルやマンションに囲まれて、古い建物が残っていました。
三島駅への道との交差点にある、世古本陣跡。ビルに囲まれた広場に石碑だけが立っていました。今回の街道歩きの旅の終点です。
本陣跡から10分ほど歩いて三島駅に到着。東海道線で帰途につきました。一日に歩いた歩数・距離ともに新記録でした。
箱根峠を越えると茨ケ平です。箱根旧街道西坂の入口に道標が立っていました。「これより江戸25里(約100km)、これより京都100里(約400km)」
竹藪のトンネルにも石畳が敷かれています。箱根峠に石畳が整備される前は、細い竹を敷きつめて旅人をぬかるみから守っていましたが、竹は毎年取り替えなければならないため莫大な費用と人手がかかり、石畳にとって代わりました。
鎧兜の形をした「かぶと石」。国道1号の拡幅工事のため、ここへ移動したそうです。
季節のせいか、元々花が少ないのか、旧街道を歩いていてほとんど花を見かけませんでした。珍しく石畳の脇に咲いていたリンドウ。
「念仏石」。石の手前に、道中で行き倒れた旅人を供養した「なみあみだぶつ」の碑があるため、念仏石と呼ばれているそうです。昔の旅は楽しくも命懸けだったようですね。
函南町から三島市に入りました。願合寺地区の旧東海道は二間幅(3.6m)の立派な石畳です。
国道1号と合流すると山中城址です。旧東海道は山中城を横切るように通っています。
山中城址から遠くの山並みが見えます。
笹原一里塚。なだらかな西坂を下って行きます。
松雲寺は東海道を通行する要人の宿として使われた寺本陣です。宿場の間に茶屋本陣・寺本陣が置かれたことからも、箱根八里の険しさが伺えます。
塚原新田。このあたりは○○新田という地名が続いています。江戸時代に次々と開墾されたのでしょう。
宗福寺。やや雲行きが怪しくなり、ポツポツ雨が降ってきましたがすぐに止んでくれました。
国道1号に合流し、遊歩道となった石畳を歩いて行きます。錦田一里塚は車道の両側に一対の塚が残る、貴重な遺構です。
町の風景が現れ始めました。大場川に掛かる新町橋を渡れば三島宿です。
午後4時半過ぎ、歩き始めて8時間で三嶋大社に到着しました。
三嶋大社拝殿。ここまで無事に歩いてきたことに感謝!
薄暮の境内を柔らかい灯りが照らしました。
三嶋大社を出て、少し歩けば三島宿の中心部です。ビルやマンションに囲まれて、古い建物が残っていました。
三島駅への道との交差点にある、世古本陣跡。ビルに囲まれた広場に石碑だけが立っていました。今回の街道歩きの旅の終点です。
本陣跡から10分ほど歩いて三島駅に到着。東海道線で帰途につきました。一日に歩いた歩数・距離ともに新記録でした。
今年も残りわずか。 [雑記]
会社と家の往復ばかりだとあまり年末という感じがしなかったのですが、休日に街に出てみると師走の風景がいたるところにありました。
築地の場外市場、波除通りの買い物客をかき分けるようにフォークが走っています。何十年も変わらない東京の風景も、築地市場の移転で消えてしまうのでしょうか。
明治神宮外苑参道のイチョウ並木。午後の陽を受けて黄金色に輝いていました。東京の遅い黄葉は晩秋というより初冬のイメージがありますね。
明治神宮内苑・拝殿前。行き交う人々の影が回廊の床に映し出されます。さて、自分は何を願う??
新宿副都心のイルミネーション。そういえばクリスマスも近いですね。仕事帰りにも飾り付けられた街の風景を見ているはずですが、日常の忙しさが記憶に残してくれないようです。
今年は大地震、台風と大きな災いが多かった年ですが、来年は平和な1年になりますように。
築地の場外市場、波除通りの買い物客をかき分けるようにフォークが走っています。何十年も変わらない東京の風景も、築地市場の移転で消えてしまうのでしょうか。
明治神宮外苑参道のイチョウ並木。午後の陽を受けて黄金色に輝いていました。東京の遅い黄葉は晩秋というより初冬のイメージがありますね。
明治神宮内苑・拝殿前。行き交う人々の影が回廊の床に映し出されます。さて、自分は何を願う??
新宿副都心のイルミネーション。そういえばクリスマスも近いですね。仕事帰りにも飾り付けられた街の風景を見ているはずですが、日常の忙しさが記憶に残してくれないようです。
今年は大地震、台風と大きな災いが多かった年ですが、来年は平和な1年になりますように。