佐倉の町を散策1(大佐倉駅~佐倉城下町) [癒しの散歩道]
梅雨入り前の最後の日曜日、佐倉の町を散策しました。
午前8時半、京成線の大佐倉駅で下車しました。秘境駅と呼ばれていますが、駅の近くには住宅もあり、1時間に3本の電車が走っています。とはいえ、ホームの後ろには緑が覆い被さるように迫っているので、ローカルな雰囲気です。
大佐倉駅の近くにある麻賀多神社への産土(うぶすな)裏参道です。大佐倉駅の南には本佐倉城跡があり、寺社が点在しています。江戸時代半ばに佐倉城が築城されると本佐倉城は廃城となりましたが、市街地から離れているためか城郭の地形は手付かずのまま残され、国指定の文化財となっています。
長い階段を上り、鎮守の杜を歩いていくと神社がありました。地元のおばちゃん達が手入れに来ているようでした。
里山の風景の中を歩いて行きます。
ウグイスの声を聞きながら歩いていくと、八幡神社の真っ赤な鳥居が目に止まりました。
300mも続く杉並木の参道を歩いていくと、木洩れ日の向こうに小さな神社。
八幡神社から数分歩くと、成田街道の旧道に出ました。現在の成田街道(国道296号)は南側を迂回しているので、旧道の交通量は少なく比較的歩きやすい道です。
街道沿いの小さな神社。
佐倉の城下町が近づいてきました。本町の交差点脇にある佐倉順天堂記念館です。現在の順天堂大学のルーツとなった医学塾で、天保14年(1843年)に創設されました。
建物の一部が記念館として公開されています。中には当時使用された手術用具などが展示されていました。
町の中心に向かうにつれて、街道沿いに古い建物が増えてきました。
重厚な見世蔵と板塀の袖蔵。有形文化財の三谷家住宅です。伝統的な商家の店構えです。
成田街道は佐倉城の手前に大きな枡形があります。2階の窓がレトロな雰囲気。
古い商店にあつらえたような丸いポスト。最近は見かけなくなりました。
『佐倉の町を散策2(武家屋敷~佐倉城跡)』に続きます。
午前8時半、京成線の大佐倉駅で下車しました。秘境駅と呼ばれていますが、駅の近くには住宅もあり、1時間に3本の電車が走っています。とはいえ、ホームの後ろには緑が覆い被さるように迫っているので、ローカルな雰囲気です。
大佐倉駅の近くにある麻賀多神社への産土(うぶすな)裏参道です。大佐倉駅の南には本佐倉城跡があり、寺社が点在しています。江戸時代半ばに佐倉城が築城されると本佐倉城は廃城となりましたが、市街地から離れているためか城郭の地形は手付かずのまま残され、国指定の文化財となっています。
長い階段を上り、鎮守の杜を歩いていくと神社がありました。地元のおばちゃん達が手入れに来ているようでした。
里山の風景の中を歩いて行きます。
ウグイスの声を聞きながら歩いていくと、八幡神社の真っ赤な鳥居が目に止まりました。
300mも続く杉並木の参道を歩いていくと、木洩れ日の向こうに小さな神社。
八幡神社から数分歩くと、成田街道の旧道に出ました。現在の成田街道(国道296号)は南側を迂回しているので、旧道の交通量は少なく比較的歩きやすい道です。
街道沿いの小さな神社。
佐倉の城下町が近づいてきました。本町の交差点脇にある佐倉順天堂記念館です。現在の順天堂大学のルーツとなった医学塾で、天保14年(1843年)に創設されました。
建物の一部が記念館として公開されています。中には当時使用された手術用具などが展示されていました。
町の中心に向かうにつれて、街道沿いに古い建物が増えてきました。
重厚な見世蔵と板塀の袖蔵。有形文化財の三谷家住宅です。伝統的な商家の店構えです。
成田街道は佐倉城の手前に大きな枡形があります。2階の窓がレトロな雰囲気。
古い商店にあつらえたような丸いポスト。最近は見かけなくなりました。
『佐倉の町を散策2(武家屋敷~佐倉城跡)』に続きます。
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